ずぼらな生き方は気楽でストレスなく生きれます

ノウハウ
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息子が保育園から貰ってくる冊子のコラムで知りましたが、「ずぼらママでも、結局すべてうまくいく」という本を知り、気になったので読んでみました。

この本は仕事、育児で大変な主婦向けに書かれてますが、私が気になったのは子育てではなく、生き方にも応用できると思いました。特に人間関係編が一番参考になりました。

作者は三浦直子さんという方で、この人との考えと私の考えは同じ所があり、共感できる所が沢山ありました。

結論からいうと子育てや家事は、ずぼらなぐらいが丁度いいという事ですが、今回は子育てではなく、人間関係編を紹介していこうと思います。

ずぼらとは、いい加減だ、だらしがないといったネガティブな意味である。しかしネガティブな意味のものでも、捉え方次第でポジティブになります。

 

ずぼら力とは何か
ずぼら力とは全てを完璧にやろうとせずに、どうしても気を遣わなければいけない所は遣い、手を抜ける所は極力手を抜く。別の言い方にすると、キッチリする所はキッチリして流す所は流すという事になります。ずぼら力とは「よけいな事を気にせず楽しく生きる力」。「ずぼら」はもはや恥ずべき事ではなく、楽しく生きていく為のサバイバルスキルと言っていい。

ずぼらと無神経は違う
ずぼらとは、ただ怠けているのとは違います。ずぼら力とは「よけいな事を気にせず楽しく生きる力」。自分がいかに楽をするかは大事ですが、人の事はどうでもいいという訳ではない。
自分の気持ちを大事にしましょうといいますが、「今日は会社に行く気分じゃないので休んじゃいました」と言う人がいるとしたら、急に休まれた周りの同僚は仕事のカバーをしなければならないので大迷惑です。基本的に「人に迷惑をかけない」のがずぼらのモットー。

周りの人を怒らせるのが無神経、「まったくしょうがないな」と笑って済まされるのがずぼら。
自分の気持ちが大事!と言って周りに迷惑をかけても気にしない人はただの無神経。ずぼら道に反している。自分の良心に従っていれば間違いはないと思う。

ここまではずぼら力の基本になります。ここから人間関係編を紹介していこうと思います。

この本ではママ友つきあいで書かれていますが、ママ友は会社の同僚だと思うと、会社の人間関係にも応用ができます。私も人づき合いは得意ではありませんが、今まで自分の生き方を振り返ると私もずぼらな人間だという事を再認識したぐらいです。ずぼらな生き方の方が気楽でストレスなく生きれてます。

 

苦手な人とは無理してつきあわなくていい
子供の頃は「誰とでも仲良くしなさい」と教えられ、子供にも「お友達と仲良くしなさい」なんて言ってますが、「それって無理があるな」と大人でもどうしても気が合わない人や、何故か会話が噛み合わない人、そんなに話した事もないのになぜか「この人苦手」っていう人います。大抵相手も同じ事考えているんでしょうが、どちらが悪い訳でもない。よく「波長が合う」と言いますが、本当にその通りで、きっと自分と違う周波数を出しているのでお互いに理解できないんですね。

確かに子供の頃は人生の経験値が少ないので色々な人と接する事は大事。子供が「あいつとは気が合わない」と言っていれば「仲良くしなきゃダメだよ」とは言えない。最近では「いろんな人が居るからね」と言うようにして、「どうしても気が合わないヤツとは距離をとれ」と言います。

どんなに気が合わなくても無視するのはダメですが、挨拶と、話しかけられたら返答をするというごく普通の対応をしていれば、無理に仲良くなろうとしなくてもいいのではないか。

周波数の合わない人とはもう最低限の付き合いでオッケー。取り敢えず挨拶だけちゃんとしておけばいい。仕事でどうしても話さなければいけない人には明るい挨拶と仕事の話だけでオッケー。

それ以上、何もいらない。シンプルなのが一番。なんだか近くに居るだけでイライラする!という人は自分の世界から追い出すのも手。とは言っても意地悪してどこかに追いやるのではなく、自分の心の中から追放するということです。

 

社交辞令を止める
個人的に社交辞令が好きでなく、言うのも言われるのも好きではない。社交辞令をする事はありません。社交辞令やめても何も困らないのである。

 

人にどう思われるにずぼらになる。どうせ誰かには嫌われている。
人の顔色を窺って気を遣って生きてみたところで、周りの人皆に好かれるって不可能です。頑張って明るく振舞ってみたところで「あの人騒がしいよね」と言われて嫌がられるかもしれないし、大人しくしていれば、「あの人、何考えてるのか分からない」とか「やる気あるのか?」という人もいる。

そもそも、おそらく自分が思っているほど周りは自分の事なんて気にしてない。どうせ頑張っても誰かしらには嫌われる、または周りは誰も気にしないとしたら自分が心地よいことをやっていた方が幸せです。例え嫌われたしても、靴の中に画びょうを入れられるとか、家に宅配ピザ100人分送りつけられるとかされなければ別に実害はないのである。少しぐらい陰口を叩かれていても、目の前で言われていなければ聞こえないので言われていないのと同じ!気にしない、気にしない!

 

人に理解してもらうことを諦める
人にはそれぞれ事情があります。人にとっては理解し難いものもあり、そういう時はいちいち説明するのも面倒なので、理解してもらうことを諦める。そして出来ない時は「できません」と断り自衛することも大事。自分の事を皆に理解してもらおうなんて思う方が無理だし、分かってくれる人がほんの少しいれば、結構快適に暮らせるものです。

 

おひとり様を恐れない
私は一人っ子育ちだったので行動する時は基本的に単独行動です。育ちの影響もあるのでしょうが、1人で行動する事が多く、1人で居る方が気楽で良いと思います。1人で外出中にほぼ無いですが、途中で誰かと会ったとしたら、その場限りで少し話す事はありますが、その後一緒に行動するという事はありません。

1人で居ることに対して「さびしい人だと思われたらどうしよう」と言うが、恐らく多くの人は誰がポツンとしているかなんて気にしていないでしょう。気にしている人がいるとしたら、きっと私のようなぼっち仲間。「ああ、あの人も仲間だな」という好意的な目なので安心しましょう。

世の中に外交的な人と内向的な人がいるそうです。1人でいるよりも、いつも誰かと一緒にいたいという人も居るようです。なんとなく外交的な人は明るくて、内向的な人は暗いみたいなイメージがあるが、これはどちらが良いという問題ではなく、単に「充電方法の違い」だそうです。

外の世界の人や活動に惹かれて社会で活動することでエネルギーを充電する人と、自分の内部の思考や感情に惹かれて1人になることでエネルギーを充電する人がいるとか。2種類の人間が上手くバランスをとって社会が成り立っていると。

 

ずぼらになるとSNS疲れはない
私の場合はSNSはやっていないので分からないのですが、SNSを見ていると、人の投稿を見てうらやましくなってつらいという声がある。俗にいうSNS疲れというものです。特に気分が落ち込んでいる時に絶好調な人の投稿を見ると落ち込んだりする。

また、人の投稿にいいねを付ける時も、「この前いいねを貰ったから返さないと悪いかな」とか妙な気遣いをして勝手に1人で疲れてしまう。色々な事を気にしてしまう人はSNSには向いていないんでしょう。

そういう時は自分が本当に「いいね」と思ったものにしか「いいね」しないというルールを自分に課すのがいいです。自分で発信するよりも人の投稿を見るのが好きな人は、あまり深く考えず、ゴシップ雑誌を見ているような軽い気持ちで眺めるのがコツです。

拘りにずぼらになると人と衝突しない
「こだわりのある男」なんてキャッチフレーズをCMで見るとカッコいいと思うが、こだわりがあればあるほど生きづらいのではないか?

もっともこだわりが裏目に出るのが夫婦喧嘩かもしれません。会社などでは自分なりのこだわりがあっても会社の方針や上司の意向に従わなければならない事は多いですが、夫婦の間では遠慮なく言いあえるし、お互いのこだわりが譲れないからぶつかるのでしょう。

こういう時は「ここは譲れない」ではなく「これ以下は譲れない」という最低ラインを設ければいいという事です。

大抵のことはどうでもいいという事ですが、どうでもいいと無責任な感じがするのであれば「柔軟に対応してもいい」という所です。

子供同士でケンカをしようが、多少口の利き方が悪かろうが基本的に放っていて、ただし友達の気持ちを傷つけるとか、大人に暴言を吐くとか、どうしても許せないことをしたらこっぴどく叱る。そこは最低ライン。

子供の字が少し汚かろうがオッケー、とは言っても読めなければダメなので、読めるかどうかが許容範囲のボーダーラインになります。

 

大事なのは最低ラインだけ。後はだいたいOK!
特に人付き合いはずぼらなぐらいが丁度いい。深入りしない、深く考えない。こだわりを持たず、周りの意見を聞きながらゆるゆるやっていると平和です。他人にたいしてずぼらになった方が人付き合いが楽になります。

これが「ずぼらママでも、結局すべてうまくいく」の人間関係編になります。後はずぼらな家事や料理といったことが書かれてます。読んでると面白い事が書かれてます。

もっとずぼらに!ずぼら力を鍛えよう。
ずぼら道を究めるには図太くなるというか、逞しくなることが大事。必要以上に顔色を伺ったり、他の人と自分を比べたり、自分の考えがブレたりしては周りに流されて疲れ果ててしまいます。つまり「自分をしっかり持つ」という事が大事。

ただ本能の赴くまま自分勝手に行動していたら単なる迷惑な人になってしまいます。自分も周りの人もハッピーになれる、ほどよいずぼらになる為には「自分をしっかり保ちつつ周りに配慮できるさじ加減」が大事になってきます。

ずぼら力を鍛えるには
・羞恥心を捨てる ・無理だと思う事をやってみる ・出来ないという思い込みを捨てる
・罪悪感を捨てる ・無理するのをやめる ・ムダだけどやりたい事をやる などがあります。

羞恥心を捨てる
恥ずかしいという感情は行動を制限するだけでロクな事はないんです。恥ずかしさを一度経験すればこの先怖いものがなくなります。「そんな事恥ずかしくてできない」ということをあえてやってみると今までにない発見があります。

無理だと思う事をやってみる
「自分には絶対無理」と思っていた事をやってみる。「無理」と決めつけているのは自分なんですよ。やってみると意外とすんなりできたり、むしろ楽しかったりして「なんで今まで無理だと思っていたんだろう?」と疑問に思う事すらあります。「やってみると意外に楽しい事」って結構世の中に溢れているものです。

できないと思い込みを捨てる
これは「無理だと思う事をやってみる」と通じる所がありますが、私生活や状況によって無理だと思う事もすぐ「無理」と諦める前に本当に無理かと疑ってみる。そして実際やってみて「自分が無理だと思っている事って、以外と無理じゃないかも」と思えるようになり、心のブロックが外れた感じになります。「絶対にやりたい」と願い、知恵を絞ると結構解決策は出てくるものです。しかしいくら考えてもどうにもならない時は諦めも肝心です。

罪悪感を捨てる
「頼れる人に頼む」とか「休める時には休む」と決めて実行する時に、どこからともなく湧いてくるのが「罪悪感」。この罪悪感はけっこう人の心を消耗させます。でも、そんな事を気にしているのは意外と自分だけだったりします。自分が勝手に罪悪感を持っていただけで、周りの人は意外と気にしなかったりします。ただし、全く協力する気がないとか、誠意が見えない場合は別です。
周りに気遣いできないのはズボラではなく、自己中かつ無神経です。

無理するのをやめる
「人に頼まれて断れずに無理して仕事を引き受けてしまう」という事はよくあります。仕事を断れないもの「人によく思われたい」からなのです。無理するのをやめて出来ない時は「できません」と言っても別に何の支障もありません。無理をしなくても力になれる所は協力しましょう。

ムダだけどやりたい事をやってみる
仕事にするわけでもない、お金になるわけでもない、周りの人から「それやって何になるの?」ということ、だけどそうしてもやりたい事はあったりします。趣味ってそういうものです。
やっている意味なんて無くていいのです。楽しいのだから。それで理由は十分。
一見、何も役にも立たない非生産的に見える事でも、それで気分が良くなるなら生産的と言ってもいいです。人生が楽しくなるのなら、それは凄く意味のある事です。

とここまで「ずぼらママでも、結局すべてうまくいく」という本の人間関係編、ずぼら力を高める所で個人的に共感できた所です。

そして最後に
ずぼらを極める真の「ズボラー」とは、ずうずうしく自分のやりたい事に突き進む人の事です。
という様に、私もずぼらな人間なので、極めていこうと思っています。

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